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【Asha】【N9】N9ミニ?Asha 501発表


インドのニューデリーで行われた端末発表イベントにて、Asha 501が発表されました。501は既にリーク情報が流れていましたが、フルキーボード付き端末のAsha 210が発表されていたためAshaのラインナップが追加されるものだと思っていました。つまりTouch UIのSeries40の新端末と言う訳です。

この予想は大きく覆される事に成りました。Asha 501はプラットフォームを一新し、Series40からNokia Asha platformとなりました。
Nokiaの公式ブログであるNokia Conversationsによると

Asha 501は、新しく革新的なものを生み出す為に2012年に買収したNokiaのSmarterphoneへの投資を全て利用し、Series40の長所に基づき構築された新しいプラットフォームが使われています。

Twitterでも話題になりましたが、OSのベースがSeries40かSmarterphoneなのかはこの文章からは判断出来ませんが

結果として、進化したオペレーションシステムは高速で応答性にすぐれ、使い易くなりました。

とありますので、OSにかなり手が入れられた事は確かなようです。

さて、Asha 501の外観ですが正にN9 Miniと呼べるもの、N9を縦方向に潰した感じです。3インチのスクリーンということで、ややずんぐりしており淡いパステルカラーと相まって非常にキュートなデバイスに感じます。

UIは完全に刷新され、NokiaはこのUIをNew All Swipe UIと呼んでいます。ダブルタップによるスリープ復帰、SwipeによるWallpaper画面からのホームスクリーンへの切り替えなど、このあたりはN9と同じです。
大きく変わったのが、メニュー画面(アプリケーションランチャー)とFastLineと呼ばれる2画面の構成に変わった事です。(従来のSeries40はメニュー、テンキーパッド、My Screenの3画面構成)Swipeによってこの画面を切り替えていくのですが、注目すべきなのはFastLineです。
Today画面やソーシャルストリームを合わせた様な画面で、最後に使ったアプリや頻繁に使われているアプリ、再生した楽曲、利用した画像、最新のソーシャルネットワークの更新などが最大50件まで表示されます。NokiaはこれをIntelligent multitaskingなんて呼んだりもしています。この画面に行けば、大半の次の作業へのショートカットが得られると言う事ですね。 続きを読む

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その7【最終章】

このブログ異例の長期連載となったTasukumuro.comのThe story of Nokia MeeGoの翻訳も今回でついに最終回です。今回はMeeGo開発を引き継ぐNokiaの元従業員による新たな挑戦、フィンランドの携帯電話ベンチャーJollaの現状とこれまでのレポートの総まとめとも言える総論です。

それでは”MeeGo最終章”普通だ(><)をどうぞ。 JollaはNokiaのMeeGo開発を継続する。

フィンランドのJolla Ltd…はNokiaの元MeeGo開発者によって設立された。2012年7月から、Twitterで段階的に情報を公開してきた。会社としては、現在60人の従業員がおり、Nokiaが放棄したMeeGoオペレーティングシステムとスマートフォンの開発を継続している。
PRMパッケージを使うMeeGoベースのオペレーティングシステムはコードネームSailfishといい、Jollaはデバイス製造会社に2013年の春にライセンスを行う。Sailfish OSはQtとMerコアによるオープンソースプロジェクトによって構築されていて、スマートフォン、タブレット、テレビその他のデバイスの用途に使われる。

Jollaは開発したユーザインターフェイスを11月21-22日に行われるSlushイベントで公開する。Jollaはまた、Sailfish オペレーティングシステムのSDKの配布も行う予定だ。Jollaはクリスマス前にSailfishデバイスの情報や発売時期を明らかにするつもりだ。

Jollaのプレスリリースによると、彼らは半導体製造業者やOEM、ODM製造業者、携帯電話事業者、小売りを含むパートナーを求めている。彼らはまた、Sailfish オペレーティングシステム廻りのエコシステムを構築する為に約2億ユーロの資金を調達した。これらのことは中国で起こるモバイル市場の大きな変化を信じる香港の会社によって管理が行われる。

総論

インタビューを行った殆ど全ての現役もしくは元従業員はあらゆる衝突を繰り返し歩んできたにも係わらず、MaemoとMeeGoチームの仕事を過剰なまでに賞賛した。

Harmattanにはどのような製品を造るか、明確な展望が無かった。異なるプロダクトマネージャがどこに向かうべきか完全に異なった意見を持っていた。プロジェクトには、一人の人間が製品レベルの決断を出来るようなものは一つもなかった。多くの外注業者や全部の社員が、彼らが何を出来るかさえも分からずに雇われていた。組織はすぐに巨大なものに成長した。

Harmattanのユーザインターフェイスデザインはそれがどんな種類のデバイスに使われるか知らないままに設計された。ユーザインターフェイスは最終的に2度も設計し直され、2年が費やされた。UIの設計中、ColumbusとDaliの2台のデバイスが葬られた。最終的な結果としてSwipe UIとN9は成功した組み合わせとなったが、TI OMAP 3 SoCはN9の出荷時期には古びてしまうと考えられ、期待されるLTEのサポートもなかった。

2009年の初めMeeGoは新しいSymbianとなった。可能な限りのリソースや人員が与えられた。新しく従業員になったものは特定の仕事が与えられず、長期に渡って組織の中の適正な居場所を探すことになった。組織には役職がどんどん増えていった。彼らはプロジェクトの前進や完成を助ける事は本当に無かった。Nokia内部の全ての人がMeeGoについての意見を持っており、MeeGoチームは全ての意見に耳を傾けた。

IntelをOS開発とハードウェア供給のパートナーとして選んだのは恐らく最大の誤りだった。IntelはX86ベースのAtom SoCsを数年に渡り開発して来たが、今年になって初めてX86-ベースのスマートフォンを消費者に届けられただけである。現在に至ってもIntelは供給すべきLTEベースバンドチップを持っておらず、2013年までこの状況は続くと見られている。更にIntelは低価格のAndroidスマートフォンに対抗する低価格もしくは中間価格帯のAtom SoCチップを持っていない。

NokiaがHarmattanとMeeGoの開発に苦しみもがいている間、最悪の競争相手であるAppleやGoogleが彼らのオペレーティングシステム廻りのエコシステム構築に成功し、北米市場を奪い取っていった。Nokiaは他の製造業者をMeeGoエコシステムの開発に組み入れようと試みた。しかしながら、この誘いに興味を示すものは無く、Nokiaは一人取り残された。エコシステムの戦いにおいて、LTEのサポート無しに北米に参入するのは、他の製造業者や携帯電話事業者の適切なサポートが行われている中、Nokiaにとって達成不可能なことに思えた。

AppleのiOSはクローズドなプラットフォームであり、GoogleはNokiaがAndroidプラットフォームに参加する事に対してなんの利点ももたらさない。NokiaはStephen Elopの指揮の下Windows Phoneを新たなスマートフォン戦略に選び、Microsoftとの戦略的協業を開始した。現在NokiaはWindows Phone8を手中にして、チップは全てテーブルの上にある:オールインワンだ。(注:オールインワンはカジノ用語でプレイヤーが手持ちのチップを全てポットに入れた状態。最後の勝負の意味でしょう。)

Jollaの発表があった時、正直感じた事はこの会社の行く末は決して良いものでは無いだろうなと言う事でした。現在、旧大手5社とも言えた存在はSamsungを除きどこも苦しい状況です。Nokia、Motorola Mobility、Sony Mobile共に多額の赤字を計上し、会社の経営に苦しんでいます。今やAppleの様な一部の企業を除けばOSはOEMの時代。この水平産業下とも言える時代に於いてMotorolaにしろ、Sonyにしろ四半期のスマートフォンの出荷台数は4、500万台、SymbianとWindows Phone8の端境期であるもののNokiaもついに1,000万台を大きく割り込みました。スマートフォン製造と言う産業は数百万台クラブでは収益が上げ難くなっているのです。
この状況下に於いて、たった従業員60人のこの会社はOSの開発から端末製造、マーケティングに至るまで全てを行おうとしています。正にドン・キホーテの戦いであり前途は多難に思われます。
しかしながらこの会社は中国の大手小売りとの契約を勝ち取り、香港の投資会社を通じて200億円もの資金を調達することに成功し、意外にもしたたかな面を見せています。中国に注力したビジネスモデル、これが今後どのような展開を見せるかは分かりませんが、オープンソースプロジェクトの協力を得ながらOSを他社にライセンスし、仲間を増やしながら会社をコンパクトに保っていけば今までの大手携帯電話会社と違った生き残りの方向を見つけられるかも知れません。
Jollaが一番良かったと思う事は、長年Nokiaが積み上げて来たmobile Linuxの技術が分散しないと言う事です。一度、壊れてしまったものは2度と戻ってきません。JollaにはMeeGoの旗を掲げ続け、独立を保てるよう頑張ってもらう事を切に期待しています。

そして、今回のThe Story of Nokia MeeGo、主にMeeGo開発に関わったNokiaの現役、元従業員の聞き取りによって記事が成立しています。MeeGoの誕生は凄まじい熱狂を持って迎えられました。にも関わらず、なぜNokiaのスマートフォン戦略は失敗したのか、なぜMeeGoプロジェクトは失敗したのか、これらの本当の理由を導きだす為にはNokia MeeGoチームの証言だけではなく、当時のNokia上層部、Intelの開発者やMeeGoのソフトウェアやアプリケーション開発者、オペレータ、他の製造業者など多くの関係者から意見を聞き、もっと客観的な検証をする必要があるのかも知れません。
しかし、このレポートが現在最も詳しいNokia MeeGoの内幕を描き出している事も確かであって、貴重な資料であり、ここにはNokiaのMobile Linux開発に関わった多くの人のドラマがあります。
取材を重ねこの様な貴重な資料を公開してくれたSampsa Kurri氏に感謝すると共に(勝手に翻訳でゴメンナサイm(_)m)、N9を世に送り出してくれたMeeGoチームとその関係者に感謝の言葉を述べてこの翻訳を終了しようと思います。

では、また再び主戦場をtwitterに移します。次はLumia920買いましたのエントリで(笑)

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その6

Tasukymuro.comのThe story of Nokia MeeGoの勝手に翻訳も既に第6回目、私のやる気もなんとか保たれているようです(笑)

今まではMeeGoプラットフォームのソフトウェアやデバイスに関する開発秘話的なものが中心でしたが、今回は人やMeeGoに留まらないNokiaの戦略変更にスポットが当たります。ステファン・エロップ氏がCEOに就任直後、Nokiaを離脱した一部の過激なMeeGo支持者はエロップ氏をMicrosoftが送り込んだトロイ(の木馬)だと言い、Nokiaの業績低迷や多くの従業員解雇を見て”悪のCEO”と評価する向きもあります。これは本当なのでしょうか。彼は様々な場面に置いてどんな決断を行い、会社をどこへ導こうとしているのかがここで語られます。

それでは”MeeGo悪のCEO編”(笑)をどうぞ。

NokiaのCEO Stephen Elopの2010年

Stephen ElopがNokiaのCEOというポストについてから、最も大きく変わったことといえば、ビジネスの中心が北米に移ったことである。Elop’s viewsによると、USで始まった潮流は、iPhoneやAndroidが示すように世界中で勝利する。それは、なぜNokiaはグローバルにおける成功の為にアメリカ市場の競争に必ず挑戦しなくてはならないかと言う事である。

Nokiaで仕事を開始して間もなく、”Sea Eagle”プロジェクトを開始した。Nokiaのスマートフォン戦略を整理し、代替案の分析を行う人選である。社内の10人に加え、Nokia社外からコンサルタントが雇われた。結果として、SymbianとMeeGoの組み合わせでは長期における戦略の成功は難しいと結論付けられた。

アメリカ合衆国においてはAT&TでN9販売の合意がなされていた。しかしながらハードウェア性能は競合するAndroidのライバルに比べて遅れていると考えられていた。コードネームRM-716という別のバージョンのN9がverizon向けに開発されていたことが明らかになっている。2011年中にN9を北米で販売出来たとしても、Nokiaは移り変わりの速いスマートフォン市場で長期間LTEをサポートする後継機を投入する事は出来なかっただろう。

Elopは従業員に送ったメモで、Nokiaは2011年の末までに市場に1台のMeeGo電話のみを得るだろうと説明した。MeeGoチームの分析中、Elopもしくは取締役会に2010年のホリデーシーズンにいかなるデバイスも確実に利用可能になる事を示せなかった。

N9に使われているOMAP 3630 SoCベースのデバイスは非常に厳しいスケジュールで市場に投入しなければならなかった。しかし、AppleやGoogleと競合するエコシステムは北米の携帯電話事業者がサポートするLTEのサポート無しで構築しなければならなかった。Intelとの協業の結果、安価なAndroid電話に対抗する中間価格のチップセットは無く、もはやSymbianではそれらに対抗は出来なかった。

N9は2011年夏には完成し、発表可能となった。NokiaとMicrosoftのWindows Phone戦略の結果、Nokiaは電話の出荷計画が明確になり秋には出荷が開始された。決定権を持つ組織、ほとんど働くもののいないプロジェクト、Nokiaの内部と外部の腕相撲は最終的には終了し、全ての人がプロジェクトの終息に集中する事になった。

最終的に、MeeGoは他の製造業者にとっても十分と言えるものではなかった。Nokiaはマーケットリーダであり、他者はNokiaはMeeGoプロジェクトにおいて強い力を持っていると考えていた。2010年の末NokiaはSamsung、LG、Sony Ericssonと交渉を行ったが、誰もMeeGoエコシステムの開発においてNokiaに協力すると決断するものはいなかった。ヨーロッパの大手携帯電話事業者も関連する投資に関しては同様だった。

バーニングプラットフォームとNokiaの新しいスマートフォン戦略

2011年2月の始め、CEO Stephen Elopは従業員にメモを送った。会社の現在の状況や問題、将来の確保について強く訴えた。

Elopは油田採掘に従事する男について語った。夜間爆発で目を覚ますとプラットフォーム全体が炎に包まれていた。男は採掘場の淵に立ちそこに留まって死ぬか、30m下の暗く凍った海に飛び込むかの決断を求められた。彼は決断しなければならなかった。彼は飛び込む事を決断した。普段だったら考える事も無かった状況である。しかしながら、その時は通常からはほど遠い状況だった。

男は落下と凍った海から生還した。彼は救出された後、燃える採掘場が彼の行動を大きく変えた事に気付いた。

Elopは前の月に、投資家や携帯電話事業者、開発者、部品供給事業者、従業員と議論を交わした。Nokiaはバーニングプラットフォームの淵に立っている。Elopはプラットフォームと共にNokiaの携帯電話やスマートフォン、SymbianとMeeGoプラットフォームについて言及した。このプラットフォームは、しかしながら一度の爆発では済まない。何回も起こるだろう。彼はAppleのiPhoneやGoogleのAndroidの様なアグレッシブな競合者や中国市場に急速に登場した安価な携帯電話に付いても言及した。Elopによれば、Nokiaは2007年に登場したiPhoneに近い体験を得られるデバイスを持ってなく、Androidは2年でSymbianスマートフォンシェアを抜き去ってしまう。

MeeGoはハイエンドスマートフォンに於いて勝利者となる期待が持てるプラットフォームだが、Nokiaは2011年の末までにたった1台のデバイスしか市場に送り出す事が出来ない。

デバイス間の戦いはエコシステムの戦いに移った。それにはソフトウェア開発者やマーケティング、Web検索サービス、ソーシャルメディアや位置情報サービス、ハードウェアやソフトウェアシステムも加えられる。Elopは競争はNokiaのデバイスのみのマーケットシェアを凌駕する事が可能であり、全てはエコシステムである。Nokiaはそれを自ら構築するかそれを推進する、もしくは参加するかを決断しなければならない。

Nokia + Microsoft = Lumia + Windows Phone

2011年2月11日に発表されたNokiaの新しい戦略によると、Microsoftとグローバルなモバイルエコシステムを構築するために戦略的パートナーシップを結ぶ事に合意した。MicrosoftのWindows Phone 7 OSは2010年の秋に公開され、これに続く世代がNokiaの新しい主たるスマートフォンプラットフォームになる。Nokiaはマーケットリーダになるためにプラットフォームに新しい機能を追加すると発表した。例えば、デジタルイメージングの機能である。

パートナーシップの計画では、NokiaはMicrosoftのWindows Phoneプラットフォームに将来的に貢献するとしている。Nokiaはハードウェアデザイン、言語サポート、ソフトウェアのローカライズ、Windows Phoneを新しい価格帯へ導く手助け、市場の区分けと地理的エリアなどを専門家として提供する。

NokiaとMicrosoftはマーケティングに於いて密接なパートナーシップを結んでいた。”今日、開発者、携帯電話事業者、消費者は魅力的な製品を求めている。それはデバイスだけでは無く、ソフトウェアやサービス、アプリケーション、カスタマーサポートを含んでいる、これらは素晴らしい体験をもたらすことになる。”とNokiaの社長でありCEOであるStephen Elopはロンドンで行われたプレスカンファレンスで述べた。”NokiaとMicrosoftはグローバルな規模と範囲の優れたエコシステムを構築する為に、お互いの強みを組み合わせることになるだろう。””これで3頭のレースになった”とElopは続けた。

2011年9月、Nokiaは最初のWindows Phone7.5ベースの携帯電話を発表した。それはNokia WorldイベントにおいてLumia 710と800モデルと紹介された。

悪のCEOエロップ氏が就任して以来。。。あれ(笑)
まあ、少なくともこのレポートを読む限りは何も悪いことはしていないですね。
自らも語っていた通り、MeeGoを高く評価しその可能性に賭けて、北米再チャレンジまで考えていた事実がここに明るみになっています。
“トロイ””破壊者”そうしたエロップ氏に対する評価には常々疑問を持ってきました。彼はプロの経営者として、アドビやマイクロソフトを渡り歩いてきた人間です。当然、Nokiaを最後のキャリアとは考えていないでしょう。倒れそうな巨大な老舗の携帯電話を建て直し、新たな評価を得て次のステップへ進む、これが彼本来の思惑では無いでしょうか。マイクロソフトからある一定の使命を帯びてやって来ているという考えは否定はしませんが、少なくともトロイなどという単純なものではない事はこのレポートを読んだ方には分かるでしょう。
まあ、悪人かも知れないですけどね(笑)

前任のCEOカブスラオ氏は社内を統治し、SymbianとMeeGoの争いを収拾して開発の停滞を脱し、成長戦略を描く事が出来なかった。この為、Nokiaの凋落を招きました。これは彼をCEOに指名した長らくNokiaの象徴であったオッリラ元会長にも責任があります。歴史にもしもは無いとしても、MeeGoを中心とした成長戦略を描くなら、VERTU会長の就任が噂されるバンヤッキ氏のような強いリーダに会社を委ねるべきだったと思います。ただ、それですらもハードウェアの供給元としてIntelを選んだ時点で未来は失われていたかも知れませんが。

さて、次回は異例の長編となったこのシリーズもついに最終回を迎えます。Nokia元従業員による新たな挑戦、フィンランドの携帯ベンチャーJollaと総論が主な内容となります。
“MeeGo最終章”タイトルが普通だ(><) それでは私のやる気にご期待ください(笑)

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その5

NokiaのMeeGoデバイスはたった1台だけN9が出荷された事はご存知の通りです。
その中で、歴史の闇に消えた幻のデバイスたちがありました。今回は前回のソフトウェア開発に続きデバイス開発秘話とCPUなどのハードウェアを巡るNokiaの逡巡の歴史です。

それではMeeGo望郷編をどうぞ(笑)

NokiaによるHarmattanとMeeGoのデバイス開発

OSSOで働いていた社員によると、Kai Öistämö(2007年から2010年までNokiaのデバイス部門のマネージャだった。)の当初のMeeGo戦略はAppleの様に市場に年に1台のフラグシップを送り出す事だった。少なくともこの計画に於いては、同時に数多くの端末が市場に送り出される予定は無かった。代わりに1台のデバイスであるが多くの仕事を要求され、開発者は非常に挑戦的な仕事を実現しなければならなかった。

Columbus(RM-581)

Nokiaの最初のHarmattan UIデバイスはコードネームColumbusであり、2010年の前半までに出荷される予定だったが、数ヶ月後にNokiaとIntelのMeeGoの提携が発表されただけだった。

しかしながら、Harmattan UI開発の混乱と遅れが当初のColumbus出荷スケジュールを遅らせた。2009年の末に発売はキャンセルされ、コードネームDaliと呼ばれる新しいデバイスの為に、Simple Dali UIの開発が開始された。

Columbusのデザインは2010年4月に出荷されたSymbian^3ベースのN8によく似ていた。Columbus中止の後、デザインはSymbian電話に使われることが決定した。この事はMaemoチームを驚かせた。

The Nokia blogサイトはColumbusの写真を公開した。スクリーンの縁のロゴから横向きで使われるデバイスである事を示している。写真のデバイスは下側のパーツが無くなっている。

裏側にはカールツァイス光学の12Mピクセルカメラがあり、ほとんどN8と同じものの様に見える。

My Nokia Blog, Exclusive: Leaked Images of RM-581 “Columbus”Harmattan Prototype

N9-00″Dali”(RM-680)

Harmattan UI開発の遅延とColumbusの中止の後、QWERTYキーボード付きのコードネームDaliという新しいデバイスがプラットフォーム開発デバイスとして使われる様になった。Daliは2010年春までSimple Dali UI向けのプラットフォーム開発機だった。2009年末に中止されたオリジナルのHarmattan UIを置き換えた。

DaliはN9-00として市場に投入されると思われていた。しかしながら、発売はキャンセルされた、なぜなら店頭に並べるのは既に時代遅れと思われていたからである。大量のデバイス(92,000台)が既に生産されていたが、最終的にはN9と同時期にN950の名前で開発者のみに配布された。購入は出来なかったが、Nokiaは開発者に貸し出した。

Daliの外装はアルミニウムで出来ており、機能としては854×480の解像度の4インチ液晶ディスプレイを持つ。デバイス性能としては、ARM Coretex-A8プロセッサとPowerVR SGXグラフィックチップをチップ上に置くテキサス・インスツルメンツOMAP3630システムと1GBのRAMを搭載する。12Mピクセルのカメラモジュールもまた装備される。

Engadget, Nokia’s QWERTY-slidin’ N9 shows up in the wilds of China

N9-01″Lankku”(RM-696)

2011年の6月、NokiaはコードネームLankku、N9を発表した。これはMeeGo1.2 Harmattanオペレーティングシステムを採用していた。MeeGo電話としてマーケティングする代わりに、ほとんどそのデザインやSwipe UIのマーケティングとして行われた。N9の筐体は切削加工された1つのポリカーボネイトで作られていて、その上部には湾曲した耐衝撃性ガラスが取り付けられていた。Nokiaは最終的にN9のデザインをLumia Windows Phoneに使い、多くのデザイン賞を獲得した。Swipe UIの要素はNokiaの低価格帯のAshaに使われた。

LankkuはモデルネームN9-01として市場に送り出されると思われた。後にNokiaは新しいスマートフォン戦略を発表した2011年4月、QWERTYキーボード付きのコードネームDali、N9-00の中止を決定した。Lankkuは最後の開発製品として選ばれ、N9と名付けられた。

N9はDaliと同じ、1GHzで動作するARM Cortex A8プロセッサのテキサス・インストルメンツOMAP 3630 SoC、PowerVR SGX530 GPUと1GBのRAMのスペックである。背面にはカールツァイス光学とデュアルLEDフラッシュを持つ8Mピクセルのカメラが装備されている。

N9は2011年9月に出荷を開始し、数回のソフトウェアアップデートがリリースされた。最新のPR1.3は2012年の7月に利用可能となった。それから2日後、ソフトウェア開発マネージャのSotiris Makrygiannis氏に付き従う形で多くのMeeGoチームのメンバーが会社を去った。

“Lauta”(RM-742)

NokiaはQWERTYキーボード付きのコードネームLautaと呼ばれる携帯電話をLankkuの後、2011年の後半にリリースしようとしていた。電話の筐体はN9と同じポリカーボネイトで作られていたが、唯一横スライド式のQWERTYキーボードの装備が違っていた。内部的にはLautaはN9の様なTI OMAP 3630 Socを使っていた。

N900の後継機として多くから待ち望まれていたが、完成した製品として脚光を浴びることは無かった。Nokiaは大抵、発売直前のデバイスに正式なモデル名称を与えるが、Lautaの正式名称は決められたかどうかも分からない。

My Nokia Blog, Leaked Prototype: Nokia “Lauta” RM-742 –Cancelled “Immediate” N9 Successor

“Soiro”(Intel MeeGo)

Nokiaは”Soiro”というコードネームのもと、IntelのARM SocとX86アーキテクチャベースのデバイスを開発していた。このデバイスに関してはごく少ない情報しか明らかにされていないが、”Lauta”と同じデザインが採用されていた。つまりは、横スライド式のQWERTキーボードが装備されていると言う事である。

Harmattanの代わりに”Soiro”はIlmatarプラットフォームを採用していた。それはソフトウェアのインストールはRPMパッケージで行われ、Intelのハードウェアに最適化されている事を意味していた。インタビューを行ったソフトウェア開発者によると、IlmatarプラットフォームやIntelのハードウェア対応の作業は非常に挑戦的な仕事だった。

Ilmatarのユーザインターフェイスは全く違うアプローチを使うと考えられており、その目的はユーザがモダンな技術を利用し得られた情報をユーザインターフェイス自身がいかに利用出来るかを見つけるというものだった。Ilmatarの新しく独特なユーザインターフェイスはNokiaのIntel-MeeGoデバイスの売りの一つであると考えられていた。

“Senna”タブレット

Engadget, Nokia collects design patent for a tablet
インタビューを行った多くのNokia元社員によると公開されたデザイン特許の中で見られるものはSennaのコードネームが付けられたタブレットのデザインであると確認された。SennaはST-EricssonのNovaThor U8500プラットフォームをベースとした巨大なN9の様なものであり、1080pのビデオ撮影が可能な背面カメラを備えていた。SennaはHarmattanではない公式版のMeeGoを採用しており、しかしながらユーザインターフェイスとアプリはN9と同じものを採用していた。


U8500は二つのARM Cortex A9コアとARM Mali 400 GPUを内蔵しており、同じチップにHSPA+モデムも統合されていた。

2010年の後半、N9とプロトタイプのタブレットの作業がStephen Elop CEOに披露され、高い評価を得た。間もなくSennaはMeeGo戦略の中止とともに葬り去られた。

Engadget, Is this Nokia’s tablet-shaped MeeGo device?

Fonearena, Nokia MeeGo Device Based on ST Ericsson U8500 Platform

NokiaとIntelの提携

Olli-Pekka Kallasvuo era(注:当時のNokia CEO)在任中はNokiaはアメリカ以外の地域に集中すると言う戦略を取っていた。Kallasvuo era時代の末期には北米のNokiaの立ち位置は崩壊し、悲惨な状況だった。AppleのiPhoneとGoogleのAndroidはSymbianより扱い易いユーザインターフェイスを提供していたが、Nokiaはグローバルマーケット向けの製品を携帯電話事業者やアメリカ顧客に買ってもらうしか無かった。

2010年当初、北米市場はLTEネットワークとLTE対応電話によって独占されると言う事が明確になって来ていた。同時期Nokiaは将来のMeeGoに使われるハードウェアについて重要な決定を行っていた。

2008年10月、テキサス・インスツルメンツはスマートフォンのベースバンドモデムへの投資を中止すると言う発表を行い、無線通信部門の売却先を探していた。経営が苦しい状況にあり、TIは2億ドルの経費削減とOMAP4アプリケーションプロセッサの開発に集中する必要があった。

NokiaにとってMeeGoがTI OMAPの採用を終了することを意味し、それは同じ会社のアプリケーションプロセッサとベースバンドモデムのスマートフォンチップセットを購入する会社を決定しなければならないと言うことだった。Nokiaは初期のMaemoデバイス全てにTIのOMAP SoCsを採用して来た、HarmattanデバイスもまたTI OMAP 3640ベースで開発されていた。

・N770: OMAP 1710
・N800: OMAP 2420 (330 MHz)
・N810: OMAP 2420 (400 MHz)
・N900: OMAP 3430
・N950, N9 & Lauta: OMAP 3640

TIによるOMAP3ラインのSoCsの代替案としてはQualcommとIntelがあったが、Intelを選ぶ事になった。Qualcommはハードウェアの適合を提供したが、チップセットのオペレーティングシステムへの接続は低レベルのソフトウェアに留まっており、オペレーティングシステム開発には寄与しなかった、例えばHarmattanやMeeGo。この為、IntelはMeeGoの協業を一新した。

Motorola, Driving 4G: WiMAX & LTE (PDF)

あるインタビューではIntelに関する決定は災害であると説明したが、QualcommにとってはAndroidやWindows Phoneなどの他の競合するプロジェクトに比べてMeeGoの優先順位は高くなかった。Intelを選択する事は北米マーケットを無視することになる、なぜならIntelはアメリカで広く使われているCDMA-ネットワークをサポートする効率の良い計画を持っていなかった。

NokiaとIntelはまた第4世代ネットワーク技術のWiMAXの開発に大きな投資を行っていたが、LTEと並立して競合していた。これらの競合する4G技術WiMAXは、SprintがWiMAXを使った最初の4GネットワークをUSに構築した時に初めて市場に投入された。しかしながら、開発のスピードは遅く、実際のところのネットワークの伝送速度は理論値に遠く及ばなかった。

より良い両立案としては、LTEによって信頼性と実際の伝送速度を提供し、ネットワークオペレータが4Gネットワークを構築する時、技術の選択肢を与える事である。NokiaがTIのOMAP後の将来のハードウェアの選択を行った時、IntelはLTEサポートの適切なスケジュールを持っていなかった。

2年半が過ぎた今日でさえも、Intelは最新のMedfield ATOM SoCにLTEサポートの統合を提供出来ていない。しかし、年末に7160ベースバンドモデムのテストユニットを配布すると発表し、2013年にはそのチップが使用可能になるとしている。

TechCruch, Intel Confirms Medfield x86 Chips Don’t Support LTE Yet

その後、Qualcommとの交渉は再開された。計画はIntelベースのMeeGoデバイスの後、QualcommのSnapdragon Soc(System-on-a-Chip)ベースのMeeGoデバイスが造られるということだった。

Update:記事の公開後受け取った情報では、Nokiaは2011年の最初にUS市場向けに(ほとんどRM-716のようだ)QualcommのSnapdragon Soc版のN9を開発する予定だった。この事は新しい戦略を選択した結果、Windows Phoneが同じプラットフォームを使う様に設計されていることにより、Nokiaは簡単かつシンプルにオプションを提供出来る様になったからである。”Sea Ray”プロトタイプ(Lumia 800)はN9の発表後まもなく、同一のデザインで公開された。

Intelのスマートフォンプラットフォーム:MoorestownとMedfield

LTEサポートの欠如に加えて、別のMeeGo開発者はIntelが自分の持ち分のMeeGo開発の速度を緩めようとしていたと述べた。MeeGoはX86とARMアーキテクチャの両方をサポートする様に設計されていた。コードネームIlmatarと呼ばれるMeeGoに適合するIntelのATOM SoCのハードウェア最適化はまだ準備出来ていなかった。Intelはx86 SoCが負け犬として取り残されることと、オペレーティングシステムの開発に関連する事の多くが、Nokiaとの取引から取り残されることを恐れた。

2010年の春、IntelはコードネームMoorestownというスマートフォンプラットフォームを市場に投入した。45ナノメートルプロセス製造技術によるコードネームLincroftというアプリケーションプロセッサと65nmプロセスで独立したベースバンドモデムを搭載するLangwel周辺機器チップで構成されていた。Atom Z6XX チップセットファミリーのSoCはクロックスピード1.2-1.9GHzで動作し、一つのCPUコアとIntel GMA600 GPUを搭載している。
Moorestownプラットフォームはスマートフォン市場に投入される事は無く、Intelに放棄された。

2011年の早期にIntelはMedfieldプラットフォームについて言及した。32-ナノメートル幅の製造技術、全ての機能がPenwellというコードネームのSoCに統合されていた。PenwellプラットフォームはHyper-Threadingをサポートする1.2GHzのAtomプロセッサとPowerVR SGX 540 GPU、512KBのL2キャッシュ、LPDDR2メモリコントローラを搭載している。

Motorola RAZR i
2012年からLenovo K800やOrange San Diegoの様ないくつかのMedfieldベースのAndroidスマートフォンが公開されて来た。MotorolaのRAZR iは最も先進的なIntelベースのスマートフォンであり、Medfieldプラットフォームの2GHzプロセッサのAtom Z2460 SoCが使われている。

ハアハアもののQWERTYキーボード付きMeeGoデバイスや幻のタブレット。Intelのハードウェアを使った製品の情報に付いてはほとんど出回っていなかった為に興味深く読めました。
また、なぜNokiaがハードウェアプラットフォームにIntelを選び、そしてその関係を解消していったかもよく理解出来たかと思います。
MeeGoにとっては色々な意味でタイミングが悪く、Windows Phone戦略は当時とりうる戦略の中で最良のものの一つだったということでしょう。

では、次回はCEO Stephen Elop氏が登場し、彼がどんな決断をしどのように会社を導いたかが語られます。では次回”MeeGo悪のCEO編”(笑)をお楽しみに。私のやる気にも期待して下さい。

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その4

Taskmuro.comの勝手に翻訳The story of Nokia MeeGoも第4弾となりました。
今回は、発表後非常に高い評価を得たN9のユーザインターフェイスSwipe UIの誕生秘話というべき内容です。紆余曲折を経てHarmattanのUIはSwipeへと進化します。

それではMeeGo回天編をどうぞ(笑)

Maemo6ユーザインターフェイスコンセプト

IntelとMeeGoの提携を開始する前の、2009年10月のMaemoサミットイベントでNokiaはQtで開発されるMaemo6のコンセプト画像を公開した。Maemo6は’iconic user experience’とインターネットサービスが美しい一つのパッケージで提供される事が約束されていた。ユーザインターフェイスのデスクトップは複数の描画エリア(キャンバスの原則)から構成されており、アプレットやWidget、アプリケーション起動アイコンで埋め尽くされている。

マルチタッチがサポートされた静電式タッチスクリーンは、横画面と縦画面の両方に対応する計画だった。

Nokiaは以前のMaemoデバイスで縦画面をサポートしておらず、大きな変更であった。
UMPC Potal,Maemo 6 Early info(スライドと情報はMaemoサミットから直接。)

Harmattanユーザインターフェイス(UI)

オリジナルコンセプト

HarmattanのUIは本来、人の振る舞いや開発プロセスから学んだ基準の枠組みによる行動理論の原理に基づいていた。
最終目標は社会と個人を理解することであり、最も重要な事はその二つを結びつけることにあった。その理論は元々ロシアの心理学者Vygotskyの研究によるものだった。

目的は、人は仕事と情報伝達を相互に結びつけるためにいかに情報を利用しているか、それらの仕事の方法を技術がベースとなったワーキングモデルを強要する代わりにサポートすることである。このシステムはユーザの相互作用をどちらかの方法に適合させ、繰り返し相互作用が起こるようにするものである。

起動中のアプリケーションをアイコンとして見せる機能は、N900では一般的な機能である。これはHarmattanのユーザインターフェイスとしてデザインされたものを利用している。Harmattanのユーザインターフェイスコンセプトの必要条件はモバイルインターネットのサポート、ソーシャルメディアの認知、マルチタスク、パーソナライズや初心者と熟練者向けモードを含む。それはユーザがいかにデバイスに彼らの好むカスタマイズを行うか明確にする必要があった。

ビューは携帯電話事業者、サードパーティのアプリケーション、デバイスの状態を表示し、ユーザにはシステムをコントロールしているという感覚を持つ事がサポートされた。ユーザはバッテリーの状態やネットワークの信号、日付や時間を認知出来る。全ての通知やそれらのプレビューは1カ所で見れるよう設計された。

メインビューからはContacts、Phone、email、browserとSearchの様な重要な機能に素早くアクセス出来る様になっている。状態エリアではユーザに何かを知らせる適切な表示がなされていた。例えばバッテリーの消費量である。

最初のFlashベースのプロトタイプのHarmattan UIは2009年の春に作られた。当初はいくつかのキャンバスの内部に小さなWidgetが乗る様な考えをしていた。

最初のHarmattan UI

複雑化が顕著となったMaemoの組織とオリジナルコンセプトの内部コミュニケーションには欠点があった。大部分は主に新しいバージョンのSymbianユーザインターフェイスだった。最初に実現されたコンセプトはホームスクリーンを含み、追加可能なWidgetがあり、アプリケーションスイッチャー、通知エリアやアプリケーションラウンチャが含まれていた。


2009年中にオリジナルコンセプトとその背後にある理論はデザインチームと継続的なコミュニケーションの問題によって拡張されて行った。
いくつかのキャンバスのみだったものに変わって、スクリーンはたくさんのWidgetを内部に持つ大きなキャンバスで一杯になった。
要求条件はたった一つから、ホームスクリーンの数を増加させることになった。ユーザインターフェイスは特に開発者に取っては無秩序で複雑になったが、ユーザのテストによるフィードバックは嘗て無いほど増加した。目的はグラフィカルな要素への投資だったが、最初の実用的なUIバージョンではその成果を見る事は出来なかった。ユーザインターフェイスは独特で大胆なものだったが、不要に複雑でオリジナルの心理学的な理論はほとんど存在しなかった。一方でNokia最初のHarmattanデバイス、コードネームColumbusの出荷の締め切りは過ぎており、Harmattanの開発者のフラストレーションは大きくなっていった。

Simple Dali UI


2009年の末、Harmattan UIのコンセプト全体を知らない人間がユーザインターフェイスデザインのディレクターになり、それは捨てられる事となった。2009年12月末、Simple Daliと呼ばれる新しいコンセプトの開発が開始された。それは元々の行動理論が完全に放棄された別のモデルだった。

ホームビューは単純でシンプルなものにデザインされた。それはただクイックランチバーとアプリケーションランチャーアイコン(スクリーンの壁紙の中心に配置)が含まれていた。Widgetは完全に放棄され、マルチタスク上で動作する取り組みはほとんどなかった。UIは大幅に簡略化された。

ユーザインターフェイスは市場で競合するスマーフォンと共通項が多いものになった。UIもまた開発者にとって奇麗になって見慣れたものになったが、競争力は無かった。Linuxとオープンソースは消費者に対して販売面で十分でなかった。

Simple Dali UIは元々、2010年7月つまり6ヶ月で使用可能になった。”Daliはあなたの第一のデバイスです。”がテーマである。計画はソフトウェアの全ての部分が、日常の利用において第一のデバイスとして使われる舞台となる事である。目標もまた達成されて、ほぼ準備ができたユーザインターフェイスは磨かれた。最終目標は既に高く設定された。

2010年春、Simple Dali UIコンセプトは競争力が十分でないのではないかという疑念が生まれた。マルチタスクだけではデバイスやユーザインターフェイスを売るのに十分という話に出来ないと言う事である。背景にはUIの新しい強化が行われる事と、いくつかの古い要求条件に戻す事があるからである。

Swipe UI


2010年8月、Harmattan3つ目のUI開発が始まった。最初の動くプロトタイプSeattle-コードネーム UIは2日間で完成した。最初のコンセプト画像から恐らく今まで見た中で最も優れたUIであることは明白だった。Seattle UIにおいてグラフィカルデザインの投資は明白に見る事が出来、いくつかのオリジナルのHarmattan UIの基本原理に戻すことにより、Simple Dali UIは無視する事になった。


インタビューを行った多くの人によると、Seattle UIもしくはSwipe UIコンセプトはNew Yorkの80/20 デザインスタジオによってデザインされた。そこはアップルやアドビの元従業員を雇っている。Nokiaのロゴは会社のウェブサイトのリファレンスページから見る事が出来る。しかしSwipe UIの画像は見つける事が出来ない。にもかかわらず、コンセプトは外部の下請け会社から来ていて、スタイルとフィールのアプリケーションのデザインは後からNokiaによって作られた。

Swipe UIはMeeGoチーム内部の大きなサポートを受けてコードネームLankkuという新しいデバイスと連携した。全ての人がこれは勝利であると知っていた。残されたのは後に続くプロジェクトと一緒に消費者が利用可能にすることだった。

先進的なコンセプトであろうが、それを製品に落とし込めなければ絵に描いた餅ですし、様々な人々の思惑が方向性を誤らせれば、プロジェクトは混乱し停滞します。Nokiaは製造業でも5本の指に入ると言う膨大な研究開発費を費やしながら、沢山の研究成果が研究室に眠ったまま(もしくはパテントとして塩漬けされたまま)と言われています。
N9のSwipeUIがNokiaがスマートフォンプラットフォームをWindows Phoneに変更する事を決める直前に完成したのはなんとも皮肉ですが、それは遅過ぎたと言う事でしょう。

では、次回は数々の幻のMeeGoデバイスが登場するMeeGo望郷編(笑)です。私のやる気に期待して下さい。

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その3

Maemo飛翔編改め、Maemo暗雲編(ぉ)は楽しんでいただけたでしょうか。
Taskumuro.comの勝手に翻訳The Story of Nokia MeeGoも第3回。 この後は真のNokia MeeGo Deep storiesが登場します。
今回はMeeGo導入編的な意味合いが強いですが、Symbianチームとの内部抗争は続きます。社内ポリティックス怖い。。。
ではMeeGo苦闘編をどうぞ(笑)

Nokia Maemo + Intel Moblin = MeeGo


2010年2月バルセロナで行われたMobile World CongressにおいてNokiaとIntelはLinuxオペレーティングシステムの開発を統合する新しい共同プロジェクトMeeGoを発表した。

その当時、Nokiaは2009年にNokiaのN900スマートフォンに使われたMaemo5の後継であるMaemo6オペレーティングシステムを開発していた。
IntelはMoblinオペレーティングシステム(Mobile Linux)を2007年から開発しており、最新のMoblin2はIntel X86アーキテクチャのAtomが搭載されたNetbookでの動作に特化した設計がなされていた。MeeGoはQtの開発環境を有しており、Moblinのコアが利用されていた。
NokiaとIntelはデバイス製造会社、携帯電話事業者、半導体製造会社、ソフトウェアとアプリケーション開発者が幅広い範囲でMeeGoを使うと信じていた。プレスリリースから2010年中にNokiaと他の製造会社はMeeGoベースのデバイスを導入すると予想されていた。

NokiaはIntelとの提携によりMaemoをより確固たるものにしようとしたが、2つの巨大な会社の開発チームの組合わせには問題があり、混乱と今まで以上の開発プロセスのスローダウンを引き起こした。

Harmattan


NokiaはすでにMaemo6オペレーティングシステムの開発を2008年から始めていて、NokiaとIntelがMaemoとMoblinを統合してMeeGoとすることを決定する前から非常に長期にわたっていた。NokiaはMaemo6、コードネームHarmattanの開発継続を決定し、出来る限りMeeGoとの互換性を持たせる事とした。NokiaはMaemoオペレーティングシステムのバージョンに異なる風の名前を付けて来た;Harmattanは西アフリカの貿易風の名前である。

HarmattanはIntelの協力による開発でMaemoとMeeGo間のブリッジとして機能するようサポートされた。Harmattanはアプリケーションのバイナリパッケージシステムとして使われるMeeGoバージョン1.2.Debian’s.deb-パッケージと互換性のあるAPI(Application Programming Interface)となるよう開発され、同時にMeeGoはRPM-パッケージ(Red Hat Package Manager)を選択した。

ユーザインターフェイス開発ツールの問題

2008年の同時期、NokiaはノルウェーのTrolltechのQtを買収した。それはC++をサポートするプラットフォームに縛られないソフトウェアとユーザインターフェイスの開発環境だった。Qtの取得後、SymbianとMaemoチームはQtのQGraphicsViewをベースとした彼ら独自のスマートフォンOS UI開発ツールの開発に着手した。Symbianチームの開発ツールはOrbitとして知られており、同時にMaemoチームのものはlibdui(Direct UI Library)として知られている。数百名がこれらのプロジェクトで働き、その多くが全く意味をなさないと思っていた。

すぐにlibduiの開発において、QGraphicsViewが全く未完成である事が判明し、Qt自身にも新しい問題が発見された。QGraphicsViewはWidgetを全くサポートしておらず、QGraphicsViewの最上位部分に開発を行わねばならなかった。継続的なユーザインターフェイス開発の変更は開発チーム内部の問題を引き起こし、アプリケーションはlibdui上で既にコード化されており、それらの開発もまた完成を見なかった。
Symbianチームで開発されたOrbitはlibduiと非常に良く似た外観を持っていた。しかしながら、どのコードも共有される事は無かった。よく聞く噂ではあるが、ある時点でHarmattanのユーザインターフェイスレイヤが全て書き直しになるにもかかわらず、libduiはOrbitに置き換えられる事が決定した。この計画は最終的には中止となり、数ヶ月の作業がゴミ箱へと消えた。

Harmattanのユーザインターフェイスはlibduiで書かれていたが、最終的な名称はlibmeegotouchに変更された。Qt Componentsにそれを加える為の開発が開始され、JavaScriptベースのQML(Qt Meta-object language)によるWidgetが揃えられて行った。Qt Componentsは最終的にMeeGoとSymbianのユーザインターフェイス開発に統合され、QMLで書かれたアプリケーションは両方のオペレーティングシステムで動作することとなった。

Qtにまつわる話は数多くあり、SymbianのOrbitは最終的には採用を見送られたはず。つまり内部闘争は開発の停滞しか生み出さず、ライバルたちに遅れをとる原因でしかなかったことになります。Nokiaの凋落をAppleやGoogleの躍進と捉える事が一般的ですが、当然それが大きな要因なのでしょうが、実は内なる原因が大きな要素を閉めていたのかも知れません。

次は、個人的には最も盛り上がるMaemo6やHarmattan、MeeGoにまつわる数々のユーザインターフェイスのデザインです。更なる私のやる気に期待して下さい(笑)

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その2

その1に続きその2はMeeGoの前身となるMobile LunuxのプロジェクトMaemoが中心となります。インサイダーによる翻弄されるMaemoの状況が炙り出されます。
それではMaemo飛翔編(笑)をどうぞ。

MeeGo以前のNokia:OSSOとMaemo
2005年以来、Nokiaの非常に限られたリソースの非常に小さなグループによってLinuxベースのMaemoオペレーティングシステムとそれを搭載したデバイスが開発されてきた。そのチームはOSSO(Open Source Software Operations)として知られており、そこで立ち上げ時から働いているメンバーによると、世界を変える製品を生み出すことが最終目標だったという。OSSOチームは2007年にMaemoチームと名前を変え、2010年のNokiaとIntelの提携の結果、MeeGoチームと名前を変えた。
全ての方針はチームを率いたAri Jaaksiによって始められた、2010年10月に辞職し、webOSオペレーティングシステムの開発のためHPに移籍した。


Nokia770
最初の二つのデバイスは2005年にリリースされた770とそれに続く、2007年のN800だった。両方共、非常に少ないリソースで開発された。なぜなら、たった数十人の小さなチームだったからである。ソフトウェア開発は俊敏で、迅速だった。


Nokia N800
不必要な官僚主義が開発を遅らせ、従業員は製品開発を遊び場と説明した。製品は上部組織や特定の部門の専門家のサポートを受けること無く、ほとんど外注のみで作られた。
誰一人として最終製品の品質問題のプロセスや結果に対して介入するものはいなかった。小さいリソースや外注の使用を考察してみれば、常に部品選びにおいては最低価格が最も優先順位が高く、2番目にはスペースの必要性、貧弱なハードウェアパフォーマンスを出来る限りのソフトウェア最適化で取り繕うとする。
ソフトウェア開発におけるコストの削減はとりわけやる気を削いでいく、次の2週間の最適化パフォーマンスのストレスとなる安価な資材調達による節約という事実が考えられる。

インタビューを行ったNokiaのほとんどの人が、外注を使い過ぎだと言った。支出と時間の浪費による会社の傷から特定の知識が生まれ、OSSOチームのリソースは制限されていた。

多くの問題があり、外注業務の品質を維持することが難しくなり、契約を適切に監督する事が出来なくなった。外注会社は適正のある人間を失わせ始めるエキスパートになって契約をごまかした。インドで誤ったコードが書かれた例や中国と日本とのコミュニケーションの問題は彼らのお粗末な英語スキルの所為である。これらの全ての結果はフィンランドのプロジェクトマネージャに余計な仕事や遅れをもたらす事となった。彼らは誤りを修正し、粗末な品質を改善する物差しを持つ必要があった。

同じ頃、官僚主義を持って拡大しているチームがあった。それは開発をスローダウンさせ、ソフトウェア開発の俊敏性を失わせた。特にMeeGoチームの開発者からの改善提案は受け入れられるのが非常に困難であり、このために多くの改善提案が放置された。一つの例を挙げれば、Swipeユーザ・インターフェイスのおける上下のSwipジェスチャーは、現状のアプリケーションを終了させる。この提案はすぐに却下された。しかし、開発者は諦めなかった。別のテストをする他の機能のものと共用することにした。結果としてBugzilla-Nokia内部のバグ報告システムには、管理とこの機能を超えて開発者にお互いに直面する問題に対して数百にも及ぶ長い会話スレッドが誕生した。最終的にはこの機能はPR1.1ソフトウェアアップデートに含まれる事となり、標準の機能となった。

2つのプラットフォームによるNokiaの内部抗争の最初の兆候はN810デバイスで見られた。それは2007年の後半に電話機能を持たずに市場に投入された。Nokiaの最初のMaemo電話であった、しかしながら電話機能を外されると言う決断は完全に政治的なものだと言われている。


Nokia N810
我々がインタビューしたMaemoチームメンバーによると、SymbianチームのディレクターはN810とSymbianベースのCommunicatorが対決可能になる事を恐れた。既に2005年と2006年に何人かの人には明らかにSymbianは古く、今日的でないプラットフォームであることが明白になっていた。加えて、有効なタッチスクリーン・ユーザインターフェイスにSymbianは挑戦中だった。これがSymbianとMaemoチームの内部抗争の始まりだった。


N900
N810デバイスの発表の後、Maemoチームは大衆を狙ったスマートフォンのコンセプトを考え始めた。元々の計画はN810に電話機能を加えただけのものだった。しかし、最終的にはコードネーム’Rover’と呼ばれる全く新しいデバイスに変更された、もしくは我々がよく知っているN900にである。N900の製造は、例えば大半の時間を外注業者が使うという、ほとんどこれまでのMaemoと同じ方法がとられた。説明されたコンセプトは非常に難解で、どの位の時間で可能になるかと言う一般的な知識無しで、一部分を構築していた。驚くべき事に、時間とお金の量が増加可能になった事により、開発チームはこれまで以上に開発に力を入れる事を可能とした。

N900はMaemo5 OSが使われ、コードネームはFremantleだった。そのHildon UIはGTK+で書かれていた。N900と並行してMaemo6、コードネームHarmattanの開発が始まっていた。そのUIは完全にQtで書かれる予定だった。

Nokiaは並行してSymbianとMaemoのタッチスクリーンが可能なスマートフォンを開発し続けていた。Symbianはまだ良く売れていたことから、誰もがどのくらいの速さでiOSとAndroidベースの携帯電話がスマートフォン市場に革命を起こすかを予想出来なかった。Nokia内部ではMaemoチームのメンバーはSymbianチームのマネージャは彼ら(Maemoチーム)の仕事を恐れていると思っていた。また彼らは出来うる手段によってMaemoチームの開発を遅らせるため会社の自分の立場を利用した。

飛翔編のはずでしたが(笑)、なんとも凄い展開になってしまいました。
この章にも登場するMaemoチームAri Jaaksi氏の’NokiaにとってSymbianは宗教’が思い起こされます。燃えさかるSymbianのブログでも紹介した通りいまさらですが、Nokiaは速い時点でMaemoをメインストリームに持ち上げることをしていたらまた違った展開があったかもしれません。携帯電話の会社としてSymbianに注力するのはある時期に於いて正しかったと言えますが、携帯電話会社としての立場を守るのではなく時流に応じた価値やユーザ体験を提供するのが重要だったのだと思います。

それでは、次回はMeeGo苦闘編(笑)です。公開は私のやる気次第(^^; 私のやる気に期待を(笑)

【MeeGo】【N9】Nokia MeeGoの濃ゆーい話 その1

The story of Nokia MeeGoというmaemoから始まるNokiaのMobile Linuxに関する濃い話がotabamediaというサイトで公開されています。なかなか読み応えのある内容なので、いつもの下手な訳で紹介していきたいと思います。

2011年2月11日、Nokiaは新しい戦略とMicrosoftとの提携の合意を発表した。Nokiaスマートフォンの新しいプラットフォームとしてWindowsPhoneオペレーティングシステムが選択された。MeeGoは次世代のデバイスやプラットフォーム、ユーザ体験の市場調査の為にオープンソース・モバイルオペレーティングシステムプロジェクトと位置づけられることとなった。
Microsoftとの戦略的パートナーシップは、2010年からIntelと共同で行っていたNokiaのMeeGo OS搭載を事実上封印した。新しい戦略にはMeeGoからの撤退と2年間の開発の成果として、たった1台の端末の出荷が含まれていた。

新戦略発表の1週間前、Nokia CEOステファン・エロップの従業員向けメモがネットに流出した。エロップ氏は、彼のバーニング・プラットフォームメモでSymbian、MeeGoの問題と競合するAppleやGoogleのエコシステムに対して競争力の乏しい現状を説明した。

現実的に、NokiaとMeeGo開発は、N9の完成を決断させる要因であったかもしないという新戦略の公開から2年で解体という状況になった。
MeeGoチームと他のNokiansは2011年中にMeeGoベースの製品を完成させ、店頭に並べるという明確な目標を持っていたため、強く打ちひしがれる事になった。


NokiaはMeeGoの開発に関しては沈黙を守ってきた。ネットにQWERTYキーボード付きのN9の画像がリークされたとき、スマートフォン市場の頂点にNokiaを再び浮上させるものと思われた。

結果として、NokiaとMicrosoftの提携とWindows Phone戦略は、N9の出荷と2度のソフトウェアアップデートを経て1年ほどでMeeGoチームを解散させる事になった。
結局、低価格帯向けに設計されたLinuxベースのMeltemiオペレーティングシステムも葬り去られ、全ての可能なリソースはWindows Phoneに振り向けられる事になった。
Taskmuro.com(注:このコラムが公開されているサイト)においては、Nokiaのスマートフォン開発とLinuxベースのMaemoとMeeGoオペレーティングシムテム開発もまた積極的に追いかけて来た。なぜなら、MeeGoの歴史に関して公開可能な情報がほとんどなく、2012の夏、我々のMuroBBSディスカッションフォーラムにメッセージを投稿する事となった。メッセージの中で、MeeGo開発の関係者にそれらのストーリーを共有する事を呼びかけた。

我々は多数の前任者や匿名を希望する現役Nokia社員の接触を受けた。この記事の為にトータル10名のインタビューが行われた。的確な質問により、Nokiaの巨大なMeeGoパズルが姿を現し始めた。この記事の大半は匿名の情報やインタビューに基づいている。我々はこれらの様々なソースから得られた情報を比較する事に全力を尽くし、それらの情報に長年にわたってネットに流出した情報を統合した。読者は環境や開発の価値が放棄された数年間の取り組みについて、このインタビューを理解したいと欲している。彼らの言葉の背景には、5000人近いNokia従業員がフィンランドに於いて解雇されて以来の失われた多くの仕事、失敗、苦い経験がある。

その1は濃ゆい話と言うよりも、衝撃の2011.2.11の発表以来のおさらい的な意味合いが強いですね。今後は前段で述べられている様に匿名の濃ゆーい情報が語られて行く事と思います。続きは私のやる気次第ですが(笑)、この後もこの壮大な物語を読み込んで行こうと思います。

【MeeGo】【N9】N9にPR1.3のアップデート

N9に待望のアップデートPR1.3が来ました。前々から”小さいが価値あるアップデート”と言われていたものです。
Settings/Applications/Manage Applicationsでアップデートの→タグを選択するとアップデートの通知が出てきました。

Firmwareのバージョンは40.2012.21-3
沢山の標準アプリと共にアップデートしました。

1,000を越える品質の改善が行われるという今回のアップデートですが、My Nokia Blogによるとメール、twitter、Facebook、ネットワーク接続の改善を含む下記の様な改善があるそうです。

・ビデオ再生品質の改善
・ステータスバーにBeep音を示すアイコンが表示される様になった。
・モバイルネットワークの捕捉が以前に比べて速くなった。
・GNONEのバグ修正。共有機能においてクライアントがメディアファイルから小さな要求を上げた時CPUが100%使ってしまう現象、大概はビデオのコマ落ちを改善しました。
・XBoxとの互換性向上。以前は5曲以上のシングルが全ての楽曲と表示されていた。
・C7より優れたNFCのサポート
・セキュリティホールの修正

Beep音のアイコンは確認出来ました。全体的なUIも若干スムーズになったと感じますし、ビデオ再生時のPR1.2の若干の画質低下やパンするとカクカクする現象も改善された気がします。

今回でソフトウェアアップデートを受けられるのは最後になりそうですが、Swipe中心の独自のUIなどまだまだ楽しく遊んでいけそうです。

【MeeGo】【N9】Xperia SmartTagsとN9で遊んでみる


先日、山根さんの一時帰国とともにお会いしたらお土産にSonymobileのXperia SmartTagsをいただきました。内部にNFCチップが埋め込まれておりスマートフォンなどから情報を書き込む事が出来ます。
N9にNFC Tag Writerというアプリがありますので、これを使って試してみました。


とこんな感じ。
Read TagはTagに書き込まれた情報を読むものですが(まさにどんなTagが書き込まれているか確認するもので、動作は実行されない。)他は書き込めるTag情報になります。

Write URl Tagを試してみます。URLを入力しWrite!を押し、N9をNFC Tagにかざすと書き込みが始まります。
書き込みが終わったNFC TagにN9をかざすとブラウザが起動し、書き込んだURLのサイトを読み込みます。このTagについてはN9は標準でサポートしているようです。


URLが書き込まれたTagにN9をかざした状態。画面はこの様な表示となり、OPENを押すとブラウザが起動します。ブラウザは標準ブラウザ以外を選択する事も出来ます。

続いて、Write Text Tagを試します。
テキストの書き込みはURLと同じく簡単に書き込めます。(日本語のTagも問題ありませんでした。)ただし、このTagはN9で標準サポートされていないらしくNfcCorkboardというアプリを使ってみました。
これはコルク製のボードに付箋を貼るがごとく、Text Tagを読み込めるアプリです。アプリを起動してN9をTagにかざすと付箋が画面に表示されます。


日本語も問題なく表示されます。”808PureView購入!”がそれ。
このアプリ、ビジュアル的にも凝っていて且つ付箋が自由に動かせるなどUI的に優れた良いアプリです。

その他Write VCard Tagを試してみましたがこちらは書き込み不可でした。
Write Bluetooth Audio Tagについてはこれ、NFC内蔵のBluetoothスピーカとかの為ですかね。BTデバイスの表示はされるもののこちらも書き込みは出来ませんでした。

使ってみた感想はTagの認識は非常にいい感じです。N9の上部をかざすと瞬時にTagは認識されます。使い方はイベントなどでURLを入力したこのNFC Tagを置いておけば、プレゼンで紹介したWebサイトなどをスマートフォンなどで読み込んでもらえると思いました。
現状は実験的側面が強い感じのするNFCですが、NokiaやAndroidデバイスにも徐々に搭載され始め、今後は実用的なサービスも開始されると思います。SIMカードと組み合わされたおさいふケータイのサービスなどの開始も期待する所です。